サッカー、野球、陸上、その他多くのスポーツで活躍するアスリートがそうであるように、優れたアユ釣り師もまた、日々の釣行記録をノートにまとめていることが少なくない。人間の記憶はいい加減なものだ。その日、そのときに気付いたことを記録し続けることで、初めて見えてくるものがある。“過去の自分”を今の自分の糧にすることで上達につながるのだ。
村田満さんにもそれは当てはまる。初期の著作「最新アユ釣り全科 イナズマ釣法の極意(産報出版)」の巻末には、昭和41年から56年までの釣果がノートの写真と共に掲載されている。釣行を記録するという行為が、村田さんのすさまじい釣果のインパクトと合わせてアユ釣り師に刷り込まれたのは、まさにこのときからだといえるかもしれない。その村田さんのノートの中身はすなわち、近代アユ釣りの歴史。ページをめくるとタイムスリップしたような感覚に襲われる。
研究論文の延長
ーー初釣行からノートをつけておられるんですよね。
せやせや。ワシね、大学のとき論文書いてね、えらいことやってん。「(学校に)残ってくれ」いうて。
ーー蛾の研究をされていたんですよね。
毎日、大学の研究室に行って飛来数を数えて、それを2年間ずっと続けて…。
ーーノートはその延長ですか。
何も変わらへん。
ーー後でノートを見ることはあるんですか。
そら見るわな。これなんか…いろんなこと書いてあるわ、いらんことも。
ーー記録をつけるのは大事ですか。
ちゃんとやっとったら今年何回行って、瀬が釣れて、トロが釣れて…というのが頭に入ってきますやん。アユは年魚やから次の年はかわした(釣りから逃れた)ヤツしか、生き残ったヤツしか遡ってけえへんわけやからね。違う魚やねん。なら、どうせなあかんかということで知恵比べや。向こうが進化したら、こっちかて進化せな。
それが結局ね、ハエジャコ(オイカワ)を岡山でずーっとやっとったけど、もう釣れすぎておもろないねん。毎日1000尾やで! とにかくね、人間に大差をつけられたわけや。けどアユはちゃうやん、釣れへんやん。もうどんだけ人間がバカかと。
ーーなるほど。
平成6年に長良川河口堰を造るときに「魚道は完璧や」いうヤツがおって、「ほ~、ええこと研究しとんな。完璧やな!」と。ワシら何も知らんかったから。平成7年の解禁日、いちばん最初に山崎へ行ってボーズ、次にいちばんシモ(の漁業区)に行ってボーズ、今度はカミの郡上へ行ってボーズくろてん。年券全部買うてね。学者は大嘘つきや!
堰で3日以上滞留するから(アユの仔魚は)海へ入る前にみな死んでしまう。遡上ばっかしで全体を見てないねん。流下のことなんて考えてないやん。それでえらい目に遭うてん。学者は現場見てないから理論ばっかしや。ワシも一生懸命本を読んで「うわ~」とそのときは思たがな(笑)。
ーー長良川河口堰の問題は大きな出来事でしたよね。
それからですわ。アユ釣りがボーンと変わったんです。長竿なんか全然お呼びじゃない。天然やったら「到達距離」で追うてきたんやけどね、人工産の放流もんは竿が長いとオトリが動きすぎて全部逃げる。当時の竿は11mやったからね、サラ場の釣りですやん。
とにかくそんなもん、データやったらみな揃ってるんやから。
ーー毎回つけるんですか。
そうせな間に合わへんやん。また次行くし、帰ってきて大変なんですわ。番台に座らなあかんから。
ーーその間にノートをつけてるわけですね。
そうそう。せやからね、この調子で株のデータ取ってやったら億万長者ですわ。実行してへんからあかんけどね。
ーー昔のノートも残っているんですか。
全部あるんちゃうかな。ちょっと待って…(しばし中座)。これが昔のやつや。
ーーおおっ! 1971年…昭和でいうと46年!!
それはもう釣りのことばっかしや、いらんこと書いてないわ、いっこも。そらマジメにやってるわ(笑)。なんぼでも見てや。
ーーすごい…最初の頃はひたすら文字で埋まってますね(タイトルカット)。
ブログやるようになってからは、ここまでやってられんからね。昔は一生懸命やったんや。
ーーこの仕掛け(1972年8月25日)は何なのですか?
バーンときたときに掛かったアユがなんぼでも動いてね、取り込みがしやすいということで当時はやってたんです。結局なくなったけどね。時代の流れですわ。
ーーこの図(1976年10月19日)ではカーボンロッドに竹を継いでるんですね。確かこれはヘラ竿でしたよね。
ダイワの兆いうて、よう釣れたんや。カーボンやから感度もええしね。ハリもまだヤナギやね。
ーー天上糸3号!!
当時は絡まない穂先がなかったからね、太いほど絡まへんから3号やってん。
ーーアユ用のカーボンロッドはまだ出ていなかったんですか。
太くて重たかったんですわ。ヘラ竿の方が細いから、そっちの方がよう釣れてん。アユ竿をどうやって作ったらええか知らへんかったんや、メーカーがね。
進化は続く
ーー振り返ってみて、昭和と平成ならどっちが釣れましたか。
そら平成や。20年で7万2204尾釣ったんやで。昭和はこんだけ。
ーー昭和41~63年で46585尾と書いてありますね。
金属糸がね、大革命でしたわ。
ーーさっきの河口堰の話ではないですが、環境面で問題があったとしても平成の方が釣れている?
技術革新やからね。ナイロンだけやったら釣れてない。ただ、平成29年はパンクするわ。金属糸ないもん。売れへんいうて製造してない。みんな複合でしょう?
ーー村田さん的には“単線メタル”の方が上ですか。
もちろん。ずっと上ですわ。
ーーなぜ複合メタルは使わないんですか。
釣れへんからや。あんなもん、ようみんなようやっとるな~と。やってみりゃ、すぐ分かるやん。沈まん。
背バリでも付けたり、付けなんだりするでしょ。ノーマルと背バリどっちがいいって、そんなもん分かってるやん。背バリ付けたらだいたい8割ですわ。100尾釣れるときに80尾になってまう。
なんであかんまま、みんないくんかな~。せやからアユがぎょうさん残るんちがうかな(笑)。人間が退化していっとる。
ーー村田さんのイナズマ釣法以降、技の進化が続いてきましたけど、まだこれからもアユ釣りは進化すると思いますか。
そら新しいのを考えな。上田(弘幸)なんて凄いやん。あれは技術の勝利やな。
ーー道具も進化する余地はある?
そらもう、年々競争ちゃう? アユは生き残ってきとるんやから。こっちも進化せな、バーンとやられてまうで(笑)。もっと(道具も)釣れるもんを追求せなあかんねけどな。ルアーなんて、完全に退化の釣りや。
ーーどうしてですか。
何も進歩してへん。いっぱい道具広げて、あれもええ、これもええと言うてるだけや。仮に集中的に研究されたら、そら…もうバスはおれへんくらいになっとるで(笑)。そう思うけんど。
ーー本質的な進化ではない?
そうそう。市場の、販売の進化ですわ。ほんまに釣れるルアーなんか、ないと思うわ。
ーーなるほど…。
竿もだんだん短かくしとるけど、釣れんようになるわ。
ーー今も長竿がいいですか?
そらそうや、距離取った方が釣れる。そやけんど、それが10mを超えたらあかんねん。10mまでやったら長い方がええ。
昔ワシは11mが定番やってん。それがオトリを止めなあかんいうことになって、いっぺんに9mになった。それをさらに短くしようと8・5mとか…。
ただ30年前のマスターズ、第1回で使われてた竿は8・7m(注:ハカマ使用と思われる)がすごく多かってん。せやから別に不思議ではないんですよ。
ーーぐるっと回って一周したのでしょうか。技術面ではどうですか。
第22回のマスターズで上田が優勝して、30回も。上田は業師やからね、他の人間は追随できませんわ。
ーー今の上田さんの釣りは何がすごいですか。
誘いがすごい。あのねぇ、第30回のマスターズの決勝は9月10日に塩原温泉であったんですよ。
その1週間前、9月4日に巴川で大会があったときにワシら行ったんや。午前と午後の合計釣果の勝負でね。午前に浅川(進)が29尾釣りよってん。「浅川すごいな、ダントツやな!!」って、そのとき上田は20尾やってん。9尾も差がついてる。
「おまえ絶対いける!!」って言うてたら、昼からは上田が浅川のとこ行って、浅川が上田のとこへ。浅川は7尾、上田は29尾。合計49尾やで! 信じられる? オレは信じられんかったけど。
マスターズでも瀬田がやった後、上田がやったら入れ掛かりやん。全然ちゃうな~と。ワシが福田(和彦)の横でおったときも向こうから来よってん、上田が。これはえらいこっちゃと。オレは日高川で何べんもえらい目に遭わされとる。あいつばっかり釣れる。操作が違う、やっぱり腕やなぁ。
ーーそのときの巴川はあまり調子がよくなかったんですよね。
そうそう。でもね、パターンにはまったら釣れるんですよ。それがなかなか掴めへんねん。
ーー何十年ノートをつけていても掴めないですか。
…(苦笑)。アユはね、(一年魚の)生き残りやから具合悪いねん。残っとるヤツ(の子孫)が遡ってくるでしょ。
ーー賢い魚だけが残って、釣られるのは…。
アホばっかしや(笑)。人間は自分の都合ばっかし。謙虚な気持ちでアユと対決したらええねんけど…。とにかく、もっと釣れるようにせんことにはね。
ーーそしてアユ釣りがもっと盛り上がってほしいですね。今日はありがとうございました。