アユ釣りマガジン on sight

私と名人【2】

村田満さんの記憶/有岡只祐

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私と名人【2】

まず言われたことは社会への貢献 釣りの話はほとんどしたことがない

 師匠がすごいなと思うのは、考え方がブッ飛んでるとこでしょ? 

 自分はアユ釣りが上手になりたくて、ちろりん会に入ったわけね。「村田満」という人間に勝てば自分が日本一だと。若いしアホやから、そういう感じでいったわけ(笑)。一番の人間と勝負をしたいと。でもそこで最初に何を言われたかというと「社会貢献しろ」と。「はぁ?」と思って。だって22、23歳だしね。

2015年のマスターズ決勝前。加藤達士選手と共に村田さんの激励を受ける

 ちろりん会に入会したとき、初めて和歌山の日置川の旅館でミーティングしたわけ。そのときにいろんな重鎮の方がいたけど、その人たちとも釣りの話は一切してなかった。全部経済の話やった。「世の中に尽くせ」とずっと言われた。釣りの話は1回もされたことなくて、ホント。あのときはこうやって釣ったらいいとかは全然なくて。まったく釣り方とか教えてもらったことがない。釣りのことは2015年に野間清さんのところに連れていってほしい、とお願いしたときだけ。

 (以前のマスターズ準決勝で負けた後)言われてたのは、ああせぇ、こうせぇ、じゃなくて「惜しいなぁ、なんでやろな?」ばっかり。「なんで勝てんのか分からん」と。こういう風にしたらいいというのは1回も言われたことなくて、技術やポイントうんぬんというのもまったくない。ヒントは出すけど答えは出さないというか、自分で考えろと。そういう感じ。意外でしょ?

マスターズの全国決勝では出場するダイワのテスターによく話しかけていた村田さん。マイクを持つときとは異なり、鋭い眼差しが印象的だった

 ずっと昼飯は食べんかったのに、食べだしたときにはびっくりした。「情けない。腹減るもんなぁ、只祐」って。いや普通ですけど、と思ったけど(笑)。お茶しか飲まなかったのにカルピスソーダが好きになって「これうまいなぁ!」とコンビニで買って飲んでたね。昼飯を食べだしたのには原因があって、米代川ですごく親しい人が亡くなって、その人も何も食べなかったので体力がなくなったんだと。

 僕がちろりん会に入ったときはもうメガネはかけてなかった。自動車の転落事故で目のピントが合うようになったってやつかな? ホントかどうか分からんけどね。老眼とかの理由で徐々に合ってくることはあるし、結構そういう人はいるもんね。事故がきっかけではないだろうけど、それをきっかけにしてしまうのが関西のおもしろさで、無理やりにでもくっつけると「おもろいやんか」と(笑)。

 コロナ禍が終わって最初のテスターミーティングのときかな? 10月の日高川で師匠と話をして、「おまえ、大変やったらしいな」と。(活動を休止していたので)みんなに「ダイワをやめた?」「何があった?」と聞かれたりしたので「実は…」と話をするやんか。でも師匠はそんなことはまったく聞かず「もうちょっと自覚しろ」と。

 言われたのは「おまえはダイワの顔になる男や、それをもう少し考えろ。おまえがやらんとダメなことがいっぱいある」と。でも自分としては本業(農業で社会貢献)をせないかんから…。すべてを我慢して大会にも出ず、周りには「よく頑張った」と言われたわけ。

 でも師匠だけは違った。そんなことはお構いなし。ダイワに対しての貢献はどうした、よく考えろよと。「わかりました!」…でも考えながらやったんやけどなぁ(笑)。

2025/04/25

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